仕事柄日本、カンボジア両国のニュースサイトを見ることが多い。そして大きく違う点があることに気付く。それは日本のニュースサイトの芸能ニュースの多さと取り扱い方である。
「報道」という言葉から思い浮かべるイメージとはかけ離れた実態は果たして読者の意向に沿ったものなのだろうか。
報道機関であろうと営利企業であるからには収益性を考慮しなければならないのは当然である。その点、芸能ニュースは多くビューを稼ぐのに格好の材料であり、その手の記事が増えることは必然といえる。
その点だけ見れば芸能ニュースのビューの多さが読者の意向を反映していると見れなくもないが、読者が見たいものだけを見せ、読みたいものだけを読ませることが報道機関の役割なのだろうか。
日本の報道機関の代表的な問題として以下の点があげられる。
報道の偏向と政治的影響
過度な商業主義
記者クラブ制度と情報の独占
ジャーナリズムの質の低下
インターネットとSNSの台頭
海外報道の不十分さ
若年層の関心の欠如
これらの点においては当然各社とも認識しているが、有効な改善には至っていないのが現状である。
ニュースのジャンルは主に社会、政治、経済、国際、スポーツ、芸能の6ジャンルで、それぞれ専門の部署があり専門の記者がいる。そしてその中で花形部署と呼ばれる部署があり、それは出世にも影響する。各社それぞれの伝統があり、だいたいは政治部や経済部出身者が社長になることが多く、逆に社長の出身部署が花形部署になる傾向にある。そして私が知る限り芸能部出身で社長まで出世した人を知らないが、そのうち芸能部出身の社長が出てくるのではないだろうか。
芸能ニュースが不必要と言っているわけではない。ともすれば殺伐したニュースばかりになりがちな中で、明るく華やかな芸能ニュースは良い箸休めになるだろう。しかし最近ではそれすらも不倫報道や不祥事ネタが増え、XなどのSNS上では人の不幸は蜜の味と言わんばかりに寄ってたかって批判し、メディアがその先導役になってしまっている。
メディアの役割と一口に言っても様々な役割がある。その中でも多様な視点の提供という重要な役割が欠けたことで一方的な主張を押し付け、教育と啓発という役割が欠けたことで読者のリテラシーが上がらず、監視機能という役割ばかりに傾倒しすぎたことで、特権意識が生まれ断罪する。そして今、多くのメディアは信頼を失いつつある。
完璧なメディアなど存在しないのかもしれないが、インターネットの台頭により誰でも情報発信できるようになった今、玉石混交の情報が溢れ、不確かな情報に踊らされ、時に人を死に至らしめる。
そうした状況だからこそ情報を扱うプロとして我々メディアは読者からの信頼回復に努め、本来の使命を再認識し、豊かな社会作りに貢献していかなければならない。