//風が吹けば、弱い葉は落ち、強い葉は残る

風が吹けば、弱い葉は落ち、強い葉は残る

Okha Dr. Kim Heang
誕生月:1980年8月24日
出生地:スヴァイリエン州
趣味:サッカー

Okha Dr. Kim Heangさんの経歴を教えてください。

私はスバイリエン州バベット市バベットコミューン、バベット・ルー村で生まれました。バベット小学校からバベット高校まで学び、1998年に卒業しました。高校生の頃、母が亡くなり、家族は困窮し始めたので、その頃からお金を稼がなければなりませんでした。1997年、食費を稼ぐために英語を教え始めました。当時、母は亡くなり、父はうつ病に陥り、兄弟はまだ幼かったです。高校を卒業した後、勉強を続けるためにプノンペンに来ましたが、入学試験ではすべて失敗しました。まず、弁護士になりたかったのですが、司法試験に落ちてしまいました。次に、英語教師になりたかったのですが、これも試験に落ちてしまいました。そして、歴史教師になりたかったのですが、当時35人の応募者のうち合格したのは20人。それでも私は試験に落ちてしまいました。私立学校に通い続けるお金がなかったので、ウェイターの面接を受けました。パークウェイレストランで午後6時に働き始め、午前2時に帰りました。ウェイターとして約1年間働き、マハモントレイ寺院に6年間住みながら聖書英語を2年間学びました。故郷を離れてからは、祖父の葬儀や従兄弟の結婚式に参加しなかったことで蔑まれていましたが、本当の理由はお金がなくて参加できませんでした。それでもプノンペンで多くの苦難に耐えました。プノンペンに住んでいたときは、若い頃の喜びを捨てて、勉強して知識とお金を稼ぐために一生懸命働きました。私にはこんな格言があります。「バベットは粘着質な土地だ。私の心はプノンペンに留まりたくない。プノンペンは遠い。そして私は戻りたくない。」です。これは私が故郷を離れてプノンペンに到着したとき、有名な人になったり、成功したり、権力を得たり、何か偉大なことができるまでは、絶対に故郷に戻らないと言う意味です。過去30年間、私は故郷に3回しか帰っていませんが、おそらく2026年から2027年には、もっと頻繁に故郷に帰れるようになると思います。なぜなら、今では社会的にそれなりの評価を得ていると思えるからです。

なぜ不動産業界を選ばれたのでしょうか?

それは本当に偶然でした。大学時代、私は日本語をたくさん話せましたし、私より30歳も年上の日本人の友人もいました。勉強を始めた頃は、日本語、英語、その他の言語も話すのが好きでした。日本人の友人に大学で何を学ぶべきか相談しました。そしたらその友人は「何がしたいの?」と聞いてきたので、「ビジネスがしたい」と答えました。友人は「ビジネスをしたいなら観光学を勉強すべきだ」と答えました。それで私は友人の言った通りに観光学を学びました。そして2001年に、私はPhnom Penh Tour Serviceという会社を設立しました。この事業は主に外国人を対象としており、レンタカー、ゲストハウスの予約、ビザの取得代行、倉庫のレンタル、オフィスのレンタル、家のレンタルなどのサービスを提供していました。レンタカーで20ドル、ビザ取得で5ドル、倉庫レンタルで1,000ドル、オフィスレンタルで500ドルの利益を出せたこともあり、ビル、家、倉庫、オフィスの賃貸で良い利益を得られた経験から2004年に不動産業界に本格的に参入することを決意しました。それ以来、私は不動産の売買に専念してきました。

それから24年間でトップ10に入る不動産デベロッパーになりましたが、この24年間を振り返ってみてどうですか?

本当にありがたいことであり、予想外のことでした。普段の私も妻も貧乏な家庭の子供です。私たちはお金を稼いでも、自慢したり、ひけらかしたり、派手な服を着たりせず、そのお金でまた土地を買いました。そして今でも土地を買い続けています。私たちが現在持っているお金はすべて、土地の売買から得たものです。お金がある時5000ドルでも20000ドルでも奥さんに何かほしいものがあるかと聞くと、奥さんは「土地を買いたい」と答えます。つまり、お金があったら何も買わずに全て土地を買っていましたが私自身それが利益になるとは思っていませんでした。でも今になって気づいたのですが、私が今日まで持っているものの99%は土地の購入によるものでした。上手いと言えば上手いわけではありませんが、私は1日3回の食事以外はあまり何も食べてないし、遊びもあまり行かないし、おしゃれも考えていません。土地のことばかり考えています。だからたぶん神様が土地があれば土地を手にいれるのが私の運命だと決めたのだと思います。

他の不動産デベロッパーとの違いは何でしょうか?

他と違うのは、私は正直にビジネスを行うということです。約30年間で、約5億ドル相当の土地を販売してきました。他人からお金を奪おうと思ったことは一度もありません。ただ、自分のサービスを受け取っていただけただけです。100万ドル売れたら3000ドル貰う、1000万ドル売れたら30000ドル貰う、それ以上もそれ以下も請求ししません。だから日本のお客様、中国のお客様、台湾のお客様、シンガポールのお客様、彼らは私のことを知っていて私を信用してくれているので、いつも私に連絡してきます。中には土地を購入するために何百万ドルも送ってくれるお客様もいます。25年以上、一度も問題は起きていません。私は率直に言ったことと行動が一致します。率直な性格だから、私と取引のあるお客様のほとんどは日本人と台湾人です。

ご自身が大事にしているビジネスのポリシーを教えてください。

私はカンボジア国内や海外に頻繁に訪れているので、Eマーケティング戦略を理解しており、20年以上前から活用しています。その時はまだインターネットもよく分からない時代でしたが私はEマーケティングのことは熟知していましたし、コミュニケーションスキルと販売スキルにも長けていましたので、どんな物でも売ろうと思えば絶対売ることができました。最も役立つのはテクノロジーの知識と販売スキルです。どんなに条件の悪い土地でも私に任せてもらえれば売れます。どんな家でも売れます。

その地域でどんな人が買いたがっているか、顧客のニーズも理解しています。当社はテクノロジーに精通しており、E マーケティングの活用方法を理解し、購入者のタイプを明確に理解しています。私は常に学ぶ人間なので、学んだ知識は冒険ではなくビジネスに活かしています。私は、販売方法、マーケティング方法、顧客の獲得方法、人材の管理方法、資金の管理方法、資金の使い方を理解しています。そのためこの 25 年間で一度も間違いを犯したことはありません。

不動産デベロッパーとしてプノンペン以外に興味を持っている場所はありますか?

2022年にシェムリアップにボレイを建設する計画がありましたが、いくつかの問題がったためプロジェクトを中断しました。プノンペン以外にもカンダール州に300軒の家を建てており、2026年には故郷のスバイリエン州でも開発計画があります。30年前、プノンペンに来る前は、私にとってスバイリエンは自分の夢を叶えるには小さすぎると考え、成功しなければ故郷には二度と戻らないと心に誓っていました。私は30年近く成功を収めてきましたので、故郷に戻って故郷を発展させたいと思っています。そして、それは利益を上げたいからではなく、お金ができたら先祖に敬意を表し、名誉と名声をもたらすようなことをしたいからです。

コロナ禍において、カンボジアの不動産業界はいくつかの問題に直面しましたが、貴社も他の不動産業界と同様の問題に直面したのでしょうか?もしそうならどのように解決しましたか?

実はみんな同じなんですが、まず銀行にあまり借金がないので、それほど大変ではありません。次にすでに多くの顧客がいて、通常通り営業できていました。正直に言うと、コロナ禍でもかなり儲かっていました。そして節約と経費削減が得意なんです。2020年から2025年までの5年間、私は2,000ドル以上使ったことはありません。妻も同じで、無駄なことにはお金を使いません。私たちは貯金、投資、そして賢いお金の使い方を心がけています。各プロジェクトではしっかりお金の管理をしています。無駄なお金を使うことはありません。そうすることで家計のバランスが保たれます。

これからのカンボジアの不動産業界はどのようになっていくと思いますか?

我が国の不動産業界は着実に前進しているように見えますが、2022年から2025年までは厳しい状況が予想されます。しかしその困難とは、風が吹けば背の高い木の葉は落ち、強い木の葉はいつまでも残るということです。ですからこの5年間は必要な資質を持たない人は事業を継続できない状況でした。通常、ビジネスはお金を稼ぐ方法を知っていなければ成り立ちません。私の場合、年間1000戸のマンションを建てたいと思ったら、それを売ることができます。難しいことは何もありません。重要なのは、誰に売るかということです。お金を持っていて、買いたい人に売ることです。ですから、私にとって、10万人以上が住むプノンペンは不動産の需要が高く、もし私が不動産を売るとしたら主にカンボジア人に売ります。他の人の場合は分かりませんが、私は市場についてよく理解しており、プノンペンの土地はまだ30年から40年は市場があると思いますし、利益を出せると考えています。

カンボジア証券取引所にIPO予定とのことですが、カンボジアでは株を不特定多数の人に売り渡すことを嫌がる人が多いと思いますが、Okha Dr. Kim Heangさんはそのように思っていないのですか?

他の人とは違いますが、私にとってこれはチャンスだと考えています。私は昔、裕福な年配の方々にこう言っていました。「もし困難でなければ、私のような貧しい人々は裕福になるチャンスはないだろう」と。そして、私たちはそれを忘れてはなりません。株式市場で自分の株の10%を売るのは難しいと思いますが、カンボジアには私を知っている人が500万人くらいいます。そのうち私が連絡を取ったのは5人だけで、300万~500万ドルは調達できるしょう。残りは一般の人に売るつもりです。不動産業界で25年間働いてきましたが、一度も問題を抱えたことはありません。私は土地やお金に関してこれまで何の問題も抱えたことがなく、銀行の信用記録も 100% 良好です。カンボジア人は私をビジネスマンとして認識しているので、投資してくれると思います。通常、株式市場に参入するには、必ず「クリア」で「クリーン」でなければなりません。私の経歴、会社、そして書類はすべて「クリア」で「クリーン」です。簡単ではありませんが、可能ですしサポートも受けられます。

上場すればIR情報の開示などデメリットもありますが、メリットの方が大きいとお考えですか?資金調達以外に考えているメリットがあれば教えてください。

もしプロジェクトを一つ進めて5000万~6000万ドル稼いで引退したいなら、一つのプロジェクトだけを取り組むことも可能ですが、私はそれを望んでいません。ベトナムのVinfastのような企業を目指しています。私の場合、一人でやれば4000万ドルから5000万ドル稼いで引退できるでしょう。しかしそうはしません。私が株式市場に参入しいと考えているのは、同じようなことを10から50個やってみたいからです。私の計画は銀行、ホテル、経済特区を開設することで、株式市場への上場は多くの投資家を引きつけ、事業を大きく拡大させる可能性を秘めています。取締役会には日本人と台湾人がおり、私はアメリカの会社を買収したこともあり、国際的な視野で事業を展開していくことが私の目標です。株式市場で資金調達するだけでなく、より多くの人々から認められ、より多くの名誉と名声を得ることができると考えています。

日本人が社外取締役にいるけど、その人はどういう人でなぜ日本人を社外取締役に迎え入れているのか。

彼は本当に私のことを愛してくれていて、以前はJトラスト銀行の副支店長を務めていました。私は少し日本語を話せるので彼と話して提案したところ、彼は私のビジョンを理解し、喜んで会社の取締役に就任することに同意してくれました。私には彼を雇うお金はありませんでしたが、彼は喜んで私を助けてくれ、私が成功すれば他の多くの人も成功するだろうと信じてくれました。

ご自身が成功した要因はなんだと思いますか?

 私を成功に導いてくれたのは、私の性格と家族のおかげです。私は何事も明晰で迷わず行動する明敏な性格の人間です。それは冗談ですが、子供の頃から恋人を作ることはなく、勉強とお金を稼ぐことしか考えていませんでした。女遊びやギャンブルやお酒なども全然やりません。家族を持った時も同じでした。妻は派手なことはせず、高価な服も買わないタイプですが、代わりにお金が貯ったら土地を買うような人でした。実は私も妻の実家も裕福ではないのですが、結婚後に義理の両親から家をもらいましたが、私たちはそれを売って不動産投資をしました。ですから、私の性格と家族のサポートは、私が成功するために非常に重要でした。

これから何かビジネスでチャレンジしたい若者がOkha Dr. Kim Heangさんのように成功するには何が重要ですか?

私は「 昨日の子供は今日の大人、そして明日の老人になる」という言葉をよく使います。20 年前、私は自分より 30 歳くらい年上の人たちとしか付き合っていませんでしたが、今ではそのうちの何人かは亡くなり、何人かは引退し、まだビジネスを続けている人も何人かいます。ですからこの時代に成功したいのであれば、子供たちに少なくともクメール語の以外に 英語と、中国語、日本語、タイ語、ベトナム語、フランス語などクメール語以外の言語を2つ学ぶようにアドバイスしています。一般的には3か国語を習得することが標準ですが、不動産業界で成功したいのであれば、営業力と外国語のスキルが不可欠です。また、若くして社会人になる準備をしているのであれば、将来成功するためには良い会社を見つけることが重要です。

 今回のインタビューを通して、本当に嬉しいです。特にOkha Dr. Kim Heangさんの人生の事は 今の現在みたいに成功したになる前に色々な困難な人生を通過しました。正直に言うと、面接前と面接後の私の考えは全く違っていました。彼の顔を見ると強面のようですが、それとは逆にとてもフレンドリーな人です。そして、彼はカーストに関係なくで、とても素朴な人なので、そのインタビューの雰囲気はとても良いものになりました。このインタビューを読むことで、皆さんが困難、苦労、そして成功から多くの良いことを学び、それを例として日常生活に応用し、将来良い結果を得られることを願っています。