CEO 角野 博史(カドノ ヒロフミ)
兵庫県出身
1975年5月生まれ
趣味:バトミントン、テニス

ではまず、簡単な経歴を教えていただけますでしょうか。|
私が19歳の大学1年生で技術の教員免許を取ろうとしていた頃に阪神大震災がありまして、家が全壊したんですね。そしたら大工さんが他県から手伝いに来てくれて、僕は学生でしたけど屋根に上がるのは全然大丈夫だったんで家を直すのを手伝いました。その時に、これは絶対俺の方が上手いなって思って大工になったんです。
それでどこかに就職されたんですか?
そうですね。知り合いの工務店に就職して、8年間そこで修行して、独立する前にカナダのバンクーバーにワーキングホリデーに行きました。
飛びますね。
独立する前に一応、二級建築士の免許を取って、自分が工務店としてやっていけるような道具とかも揃えて、ちゃんと準備を整えて辞めました。辞める前にすでに結婚していて、新婚旅行ついでに嫁と一緒にバンクーバーに行ったんですよ。そこでカナダで庭師をやっている僕の師匠から庭というものを教わりました。師匠とは日本で出会ってカナダで働かせてもらえる事を約束してくれていました。僕は建物と庭っていうのは設計する上で絶対大事だと思ってまして、それ同時に勉強できたらなと思って行きました。カナダの冬は雪が多いんで、冬の間は部屋の中の大工さんの仕事、床張り替えたりとか 小屋作ったりとかそういうのをしていました。その後、一年で帰ってきて自分で工務店を始めました。初めの2年ぐらいはきつかったんですけど、大工半分、工務店半分くらいの比率から工務店の仕事を増やしていきました。
そもそも大工さんと工務店って何が違うんでしょうか?
昔は大工じゃなく棟梁って呼ばれてたんです。まず大工さんになるには10年くらいかかるんですよ。第1から始まって第9(だいく)ですよね。そこから1年たったら棟梁になるんですよね。棟梁が大工を使って家を全部造りあげる。水道や電気や柵とかいろんなことを統括する役目をしてたんです。それを今では工務店と呼んでるっていう感覚ですね。大工っていうのは一職人っていう感じが強いんですよね。だから大工はボードを張ったり、かんなで木を削って、釘を打ってとか、そういうのをやるのが大工さんで、大工をしていると水道はここから出てこないとダメ、電気のスイッチはこっちから入れようっていうのが分かるようになってくるんですよね。なので棟梁は、1週間後に電気屋、2週間後に水道屋、1ヶ月後にクロス屋と予定を立てて進めていく。その棟梁の代わりをするのが工務店というイメージですね。
実際就職した時に、俺の方が上手いと思った手応えはそのままでしたか?それとも甘かったなと思いましたか?
技術的にはある程度できるなと思ったんですけど、大工っていう仕事をちょっと甘く見てました。
具体的に教えてください。
覚えることが意外にたくさんあるなと思いました。木の組み方とか墨付けの仕方とか、四角のものばっかりじゃなく丸いものをどうやって罫書いて梁に乗せるのかとか、そういう普通に生活してた時には知らなかったこと、こんなこと気づかなかったっていうことまでちゃんと知っとかないとダメなんだなっていうのが多かったですね。だからやっぱり一人前になるまでに10年かかるって言われるのは、そういうことなんだなっていうのを体感しながら修行をしてました。
修行っていう言葉が一番当てはまる言葉じゃないかなと思います。7年で覚えて残りの3年で会社に育ててもらった恩返しをするっていうのが理想ではあるんですけど、僕は多分5年目くらいから一軒建て出したんですよね。なのでそこから3年は恩返ししたかなと思って出ましたけど。別に独立したいって思って辞めたわけじゃなくて、ワーホリに行きたかったっていうのが一番の理由でした。
カナダでもガーデナーの方が自分に合ってると思うなら、会社を譲ってあげるよとは言われてて、自分もそれも良いなと思っていたんですが、やっぱり大工の道を選びました。
日本の庭師とカナダのガーデナーは、似て非なるもののようなイメージもありますが
私が入った工務店の社長がカナダのログハウスとかが好きな社長で、カナダ産ログハウスも作ってるところだったんですよ。木をメインに扱ってて、クロスとかボードがメインになってきてる時代に反して、木を使って作っていくっていう工務店にたまたま入れたんですよ。多分、木を扱う機会が他の人たちより多かったのと、逆にカナダではたまたま日本庭園をやっていってたので、良かったのかなと思います。もちろんカナダっぽい庭もやってましたし、石庭があるような日本庭園みたいなのも触らせていただいて、だからたまたまが重なって運良く色々勉強できたなって思ってます。
そこからどうカンボジアにつながっていくんでしょうか。
30歳ぐらいで独立して45歳まではずっと工務店をやってたんですよ。でもカナダ行ってただけあって外国で働きたいなっていう思いはずっとあったんですよね。そこで僕が47歳の時にカンボジアでコンドミニアムを建てるから、日本のクオリティで現場管理をしてくれ、技術も教えてくれっていう依頼があって来ました。
具体的な案件ありきでカンボジアに来たのでしたら、その案件が終われば帰国という選択肢もあったわけですが、なぜそのままカンボジアに残ろうと思われたのですか?
やっぱりカンボジア人のことが好きだし住みやすかったっていうのがあります。それと僕の将来的な目標が「角野リゾート」を作ることなんですよ。自分でリゾートを作りたくて、友達とか知り合いとかにいっぱい遊びに来てもらって安らげる空間を作りたい。それも海っぺりで作りたいなっていうのが夢で、それなら海外に出た方が絶対にやりやすいなって思ってたんで、これも何かのきっかけかなと思ったんですよ。
カンボジアで工務店とか建築、建設現場で働く子たちの中には英語も喋れなかったり、まともな教育も受けてない子もいる中で、一口に教えると言ってもそれなりの大変さがあったんじゃないかと思いますが、その辺りはいかがでしたか?
めちゃくちゃありました。だから10回目やけど初めて言うような口調でちゃんと言いました。「前も言ったよね」は通用しないので、同じことを毎日同じテンションで伝えるっていうことをやり続けました。
初めてカンボジア人に何かを教える時に、それができる人は少ないし、そうするべきだと気づく人も少ないと思いますが、それができた理由は何かあったんでしょうか?
3ヶ月ぐらいやってると、やっぱ違うなっていうことに気づきました。カンボジアの子らには怒ったらあかんとか、人前で怒ったら絶対すねるし、へそ曲げるし、プライドがあるというのを聞いて、だから怒るんじゃなくて、ちゃんと伝えるっていうことを始めました。怒る時ももちろんありますよ。僕も人間やから腹立ってしまう時も何回もありました。何回もありましたけど、基本のスタイルは何回でも同じこと言う。そして一緒にやる。それができるのは僕が職人だから見せることができる。どこをどう見たらまっすぐ作れるんだっていうことを教えることができるんですよね。なのでそれを教えて、出来上がると喜ぶんですよ。ちゃんとまっすぐやんって。こうやればできるんやっていうのが楽しくて、それを伝えていこうとは思ってますね。ただ知らないだけなんですよね。今日の日銭を稼ぎたいだけの子にも、技術を持った方がお金になるよっていうことも、想像ができるようになってきてるはずなんですよ。だからそれをちゃんと伝えていこうと思ってます。
古いイメージかもしれませんが、大工さんの業界ってむしろ真逆の教育方法ではありませんか?
その通りです。僕らの時代は「見て覚えろ」でした。僕には親方が3人いて、1人は優しく教えてくれてたんですよね。その他の2人はあんまり教えずに「見て覚えろ」というタイプやって、だから僕はどっちのタイプも見てるのでどっちが良いかを選べるじゃないですか。もちろん危ないことは叱ります。でもそれで危ないっていうことを分かってくれて、次に危ないことをしなかったらそれでいいなと思ってます。だって指が無くなるほうが絶対つらい。脚立から落ちたら痛い。怪我するっていう知識がないだけだと思ってます。だから伝えることによって危ないんだなということを何度も言うことで怪我しない人が増えたらいいな。それが技術力になって全体の技術が上がってくれたらいいなって思ってます。
10回言えば分かる。と分かっていれば誰もがそうすると思います。でも実際は10回なのか、50回なのか、100回言わないと分からないかもしれない。何回言えば分かるのかが分からないと、「何回言えば分かるんだよ」という気持ちが出てきませんか?
めっちゃありますけど、でも結果的にできるようになったらいいやんっていう。コンドミニアムの現場では、まず掃除ができてないんですよね。それから掃除ができるようになるまでに半年かかりました。毎週掃除の日を決めて、絶対にしろって言って、言い続けて、言い続けて、やり続けて。帰りも掃除をして帰るいうことを徹底して言って、できるようになるまでに半年かかりました。
これが学校であればまだ分かりますが、実際の仕事には工期があって、出来ない子のスピードに合わせられないということもありますよね。
めちゃくちゃあります。でも思ったより早いなっていう子もおるんですよ。カンボジアにもちゃんとできる子はいますし、日本にもできない子はいます。そこを見極めて、でも怪我しない、危なくない、歩きやすい方が仕事が一番早く進むんじゃないかと思ってるんですよ。朝礼とかでも僕らがちゃんと、「こうだよね。」「ちゃんと見た?」「ここはやった?」 っていうのを毎回言うことによってできるようになってきて、そこまでに1年かかりましたね。その後、ちゃんとコンドミニアムは建ったんで良かったですね。

角野さんは工務店というよりは大工さんというイメージですね。
大工として生きていくことに誇りを持って生きてます。そこは譲れないところ。自分が身につけた技術っていうのはやっぱり僕の人生の礎になってるんじゃないかな。自分は綺麗なもの、まっすぐなもの、美しいものが好きなんですよね。だからそれを作れるようになりたい。肌触りがいいとか。そういうことが大事だと思ってる。だからこだわってることって言葉に出てくるっていうのを言われたことがあって、僕は「美しい」とか「綺麗」とか「まっすぐ」っていう言葉をよく使うらしいんですよ。自分にこだわりがあるからそういう言葉をたくさん使うんですよ。そういうとこってやっぱり自分が一番気にしてるところ。だから職人である自分が、家を建てられる、まっすぐ作れる、いろんなことを知っている、そしてそれを伝えていける、ということが自分の自信になってるんじゃないかと思います。中学校の技術の先生になろうとしてたぐらい人に教えるのは嫌いじゃないんですよ。技術っていうのはやっぱり無くなってほしくないものでもあるし。それでなんでカンボジアで大工やねんって、ほんまにそう思うんですけど、 でも大工は全部が見れるのが大工であり、棟梁だと思ってるんですよ。 なので、いろんなものをより良いものにしていきたいっていう思いはありますね。もちろん知識不足なところもまだまだいっぱいありますけど、それぐらい建築って奥深いと思ってますし、大工の仕事も生涯、修行って思ってます。
やっぱり木造の方がいいんですか?
そうです。僕は木が好きなんで。だから木の仕事を受けることが多いですね。看板とかメニュー表とか、テーブル作っても木から作ることが多いですね。なんでみんなから大工さんって呼ばれてるかって言ったら、昔ミクシーのハンドルネームを「大工の心」にしてたんですよ。 でも出会う人出会う人、大工の心って呼ぶ人はいないじゃないですか。 だから大工さんって呼ばれるようになって。よく職業があだ名になってるねって言われるんですけど、僕は大工って言葉も好きで、大工って呼ばれることが嬉しいし、それぐらい大工っていう職が好きです。
日本の木とカンボジアの木は違いますか?
扱っている材料がやっぱり違いますね。カンボジアでは米杉、米松とかのアメリカ産とか、台湾ヒノキとか。ただ製材所がちゃんとしてるのが日本で、カンボジアは生木が多いですね。丸太そのままとか。その場で引き割っていって、言われた寸法にカットして渡すわみたいな。このザラザラな木を渡されてもしゃーないやんっていうようなレベルです。木の材質的にもやっぱり日本のものよりは荒いものが多いです。カンボジアは広葉樹とか早く成長する木が多いんですが、そういう木は水に弱い。もちろん害虫に負けない強い木もありますが、冬を経験しないから芯が硬くならない。その点、日本の木は肌が綺麗な木が多いですね。
カンボジアの田舎の木造の家などは、日本の職人の目から見ていかがですか?
昔ながらの技術を継承してるなっていう風に見えますね。今は日本では金物で倒れないようにしてしまう。木だったら噛んでるだけのところに金物をつけるんですよね。ボルトで引っ張るから大丈夫だよねっていう風に作ってるんですよ。でもほんまは金物そんなにいらんよねっていうのは思いますよ。木組みをしっかりしたらちゃんと強度はでます。でもカンボジアは地震がないので、そこまでの技術が発展しなかったのかなと思います。
オフィスの中にはやっぱり木が多いなと思ったんですよ。
今レジンテーブルっていうのを作ってるんですよ。透明な天板の中に木が全部見えてるみたいな。試作して上手くいけば売ろうかなと思ってます。木の中にちょっと花を入れたらオシャレに見えるかなっていうのを僕がデザインしてて。 でも失敗したんですよ。
今後の目標は先ほど少し聞いちゃいましたけど、リゾートを作りたいんですよね。
リゾートをやりたくて、カンボジアでもコッコンでリゾート開発を手伝わせてもらってます。リゾートという夢に向かっていくのが理想で、カンボジアにいた方がそういう人脈に出会えるんじゃないかって思ってて、だから事あるごとにみんなに話していくっていうことをやっています。思いが伝わるっていうことを信じて、引き寄せの法則で自分がそのタイミングでそういう人たちと出会うっていうのを信じて迷わずやってる感じです。4年前、5年前くらいから角野リゾートを作ると言い続けてます。
いつまでにという具体的な目標はありますか?
言い始めた時には10年後までには作るって言ってたんであと5年です。今年50歳になったんで55歳までには作ります。なんでプノンペンにずっといるかは分からないです。コッコンの近くに住むのか、それとも違う国に行くのかっていうのはまだまだ分からないです。チャンスがあればいつでも動ける準備をしているっていう感じです。
人と出会おうって思って夜にスナックアクアっていうとこでバイトさせてもらってて、週末の2日くらいお世話になってるんですけど、そこでいろんな人と出会ったり、日本から来たお客さんと出会ったり、いろんなお話させてもらえるんで、楽しいことになっていったらなって思ってます。人と話すのはそんな嫌いじゃないんで。全てのことは人が持ってくると思ってるんですよ。仕事もお金も夢も喜びも悲しみも。なので人と出会っていくっていうことをやっていってます。
ありがとうございます
悪い意味じゃなく職人のイメージが変わりました。