例えば日本で生活していて、何か電化製品が壊れたとする。するとまずメーカーに問い合わせるだろう。そこである程度の故障の診断がされ、必要に応じて販売店に持っていったり、メーカーに送ったりして修理をしてもらうことになる。
しかしカンボジアにはメーカーの問い合わせ窓口がないので、購入した販売店に連絡するか買い替えるか、その辺の家電の修理をしてくれそうなところに持っていく。
この“修理をしてくれそうなところ”というのがカンボジアの凄いところであり、これが将来のカンボジアを技術大国に押し上げることになるのではないかと思っている。
カンボジアに長く住んでいる人なら誰もが一度は「カンボジア人って器用だな」と思ったことがあるのではないだろうか。あくまでも印象レベルだが、見たこともないような物でもなんでも修理してくれそうな頼もしさすら感じる。しかもたいした設備もなく、もう何十年も使い倒してきたであろう機械をいまだに使っていたりするからさらに凄い。実際に私の友人は日本から持ってきたスーパーファミコンを修理してもらったことがある。修理してくれたおじさんがスーパーファミコンの修理の経験があったのかどうか分からないが、結果としてしっかり修理してくれた。ブラウン管のテレビすらいまだに修理してくれるところもあるくらいなので、スーパーファミコンくらい朝飯前なのかもしれない。
メーカーであれば当然のことながら設計図もあれば修理用の部品もあり、商品の構造も知り尽くしているだろうから修理も容易にできるかもしれないが、それ故にメーカーは逆に部品の製造が終了し、無くなってしまえば修理してくれなくなるが、カンボジアのおじさんたちは初めからそういった物が無い中で、代替部品や他の故障品から部品取りして日々修理の経験を積むことで知識を蓄え、構造を理解し、技術を磨いていく。
中国がまだ世界の工場といわれていた頃、世界中の製品を製造する過程で知識や技術が蓄積し、今では独自ブランドを世界に流通させるまでになった。
これと同様にカンボジアもいずれ、独自ブランドができるまでになるかもしれない。当然そこに至るまでにはあらゆる段階をふまなければならないので、3年5年というわけにはいかないが、50年100年というスパンで考えればじゅうぶんにあり得ることではないだろうか。
家電メーカーの方から「そんなに甘くない!」とお叱りを受けるかもしれないが、どこの国であっても昔から電化製品があったわけではなく、失敗を繰り返しながら長い時間をかけて商品開発し、技術革新して今日があるわけなので、カンボジアが無理という道理はない。
それはもちろん家電業界に関わらず、スマホなどの通信機器や自動車業界かもしれないし、もしかしたら製鉄などの重工業ですらあり得ないわけではない。あらゆる分野の商品がカンボジアに入ってくる反面、まだまだ自分たちでなんとかするしかない状況も多々ある中で、実際に自分たちでなんとかしてきた歴史は今後も続いていき、それが本人ですら気づかないレベルでコツコツと技術とノウハウの蓄積がなされ、やがて修理をしながら構造に不満や不便さを感じたり、疑問を抱くようになったりするようになる。そして最後にはその不満を解消するべく、誰かが独自の商品を開発するようになり、別の誰かがそれよりも良い物を作ろうと競争が始まる。などと想像しているとカンボジアの将来が楽しみになってくる。 物作り大国カンボジア。良い響きではないか。100年後の世界ではカンボジアメーカーの商品で溢れているかもしれない。そしてそれは100年前の今、額に汗を滲ませ、手先を真っ黒にしながら日々修理に励むカンボジアのおじさんたちの功績であることを信じたい。そう思いながらおじさんを見ていると油にまみれた爪さえ愛おしく感じてくる