最近日本がこれまで発展してきた背景について外国人が語った内容を紹介している記事を読んだ。それがまさに納得できる内容だったのでかい摘んで紹介させていただきたい。
これまで日本が発展した背景には日本文化が大きく関わっている。日本文化は外に向けた挑戦ではなく、内輪の職人魂が極まった「身内受けの凝り性文化」に起因している。
外国の文化に対抗しようとしているわけでもなく、世の中に向けて派手なインパクトを狙っているわけでもない。ただ、今ここにいる仲間たち、同じ価値観を共有する者たちから「すごい!」「面白い!」と言われたいがためにひたすら工夫を凝らす。
すると、同じ分野を極めようとする者同士で「これ、すごくない?」「いや、こっちはもっとすごいぞ!」という静かな競争が始まり、気づけばその道の技術や表現がどんどん研ぎ澄まされていく。
そしてこの文化は実はアダルトコンテンツや漫画も例外ではない。誰に頼まれるわけでもなく「こういうのが好きな人たちがいるなら、もっとすごいものを作ってやろう」という純粋な職人魂のもと、次々と新しいジャンルや表現技法が生まれていく。フェチの細分化、圧倒的な作画クオリティ、ストーリー性の異様な高さ、どれも日本独特の「身内受け競争」の産物なのだ。しかしこの競争は決して敵対的なものではない。互いに尊敬し合いながら黙々と、しかし驚異的な集中力で進行する。
そしてある日、その場にいる誰もが思ってもいなかった瞬間が訪れる。たまたま目にした異文化出身者、つまり外国人がそれを指さしながら言うのだ。
「これ、とんでもなくすごいものじゃないか!」
そこで初めて、日本人は自分たちが作り上げたものの価値を知る。伝統工芸、芸能、電化製品、アニメ、そしてアダルトコンテンツまで日本から生まれた数々のものが、まさにこのパターンで世界に広がっていった。
これが日本が物作り大国と呼ばれ、発展してきた背景だということだ。
確かに言われてみればと目から鱗が落ちた。そして自分もこういう精神性の方がしっくりくる。
しかし日本経済が低迷し始めた頃から日本人はこの精神を忘れたかのように欧米化していき、最近ではやれマーケティングだの生産性だのと言うようになり、自ら百戦錬磨の強敵たちの土俵で戦うようになってしまった。
思い返すとiPhoneが世の中に出てきてスマートホンが主流になった頃、それまでの携帯電話を指してガラケーと呼んだ。
日本人による日本人のために独自の進化を遂げてきた携帯電話を一瞬で捨て去り、iPhoneを手に取ったと同時にグローバルという沼にハマってしまったのだ。
もちろんマーケティングも生産性も大事だが、日本の文化やスタイルにアジャストさせるのも日本のお家芸の一つであるのだから、絶妙なバランスを目指したいものである。