ネットでカンボジアの教育について調べるとおよそ低水準という情報に当たる。しかし本当にそうなのだろうかと思っている。
確かに地方の農村部などなかなか教育が行き届いていないところがあるのも事実ではあるし、専門機関による調査やデータでも低水準なのだろう。ただ、だからといって我々民間レベルでカンボジア人個人をそのように見てしまうことに違和感を感じるし、そもそも首都プノンペンにおいては果たして低いと言えるのだろうかとも思う。
私がそう思うようになったきっかけは、以前に私のもとでアルバイトをしていた高校生が空き時間に数学の試験勉強をしていた時に、興味本位で見せてもらうとまったくさっぱりちんぷんかんぷんで、何の問題なのかすら分からなかった。それはクメール語で書かれているからという問題ではない。見せてもらったプリントは数学でアラビア数字で記載されていたので単純に見たこともない数式が並んでいてさっぱり理解できなかったというわけである。もしかしたらその子の通っている高校はカンボジアでもトップクラスの学力の学校だったのかもしれないが、それでも私の想像を遥かに上回る勉強内容だったし、それをその子は難なく解いていたことを考えると私たちが思うほど学力が低いわけではないのではないだろうか。
私の知る限りカンボジアの高校は授業が午前中のみだったり午後のみだったりして、日本より授業時間が短いにも関わらずなのだからさらにすごい。
日本では識字率はほぼ100%であり、義務教育が行き届いている分、平均値としては高く、その点カンボジアはまだ発展途上にあるため小学校しか出てなかったり読み書きができない人がいるのも事実だが、その反面大学を卒業し就職してもなお働きながら2つ目の大学に通っている人や海外に留学するほど勉強熱心な人もいる。平均すれば確かにまだまだ発展途上にあるのかもしれないが、それでカンボジアの学力の実態として民間レベルの我々が評価としてしまうのは現実との乖離が大きすぎるように思う。
私の周りにいるカンボジア人経営者はいまだに勉強を怠らず、マーケティングやマネージメントなどを学び、コロナ禍には速やかに事業を縮小したかと思えばいつの間にか新規事業を立ち上げ、チャンスだと思えば一気に拡大させていくそのスピード感とリーダーシップは多くの日本人経営者よりもよほど優秀ではないかとさえ思う。日本はカンボジアに比べ良くも悪くも企業に対する手厚い支援が山ほどある。それゆえに自分で考え、知恵を絞り出し、自ら切り拓き、乗り越えていく力が付きづらい環境にあるのではないだろうか。
以前ある記事にこう書いてあった。
「経営者はセンスを磨き、決断力を身につけなければならない。センスを磨くためには多くの失敗をしなければならず、失敗を許容しない日本の社会では経営センスが磨かれるはずがなく、結果日本の経営者は情報を集め、合理的に時に合議的に判断するだけになる。それなら経営者はいらない。」という当時の日本の大手電気メーカーについて書かれた記事だった。
この経営センスという点でカンボジア人経営者のセンスの方がより洗練されており、それはあくまでもカンボジア国内における事業であったとしても、それらは全て経験や実体験によって磨かれたものであり、自分でなんとかしなければならない過酷な状況だからこそ生き残るすべとして得たものだろう。
学力に話を戻すと、カンボジアにおける学業も同様で、特に考えもなく高校や大学に行くほど時間もお金も余裕があるわけではないからこそ社会で生き残るために必要だから行くというベースのモチベーションがあり、その結果ただなんとなく高校に通った私なんかよりもよほど優秀な子たちがいる。それなのにカンボジアの下層を拾ってそれが全体かのように論じたり、日本の上層を拾ってそれが自分かのように論じることはナンセンスである。ただ日本人というだけで上席にいる人は気をつけなければならない。あなたのポストを奪うのはカンボジア人という日はもう目の前に迫っている。