//エコノミーとエコロジー

エコノミーとエコロジー

今月号の特集でプラスチックゴミのリサイクル業者を取材させていただき、自分なりに考えてみた。

ゴミとは何だろうか。使用済みの物、汚れた物、用を成さなくなった物、不必要になった物、定義はいろいろあるだろうが、人は物を捨て、そしてそれはゴミになる。

ゴミを出さずに生きていける人間はいない。生きていれば必ず何かしらのゴミを発生させる。人口増加とゴミの量は明確な因果関係があり、さらに都市化や所得上昇とも連動するため、今のカンボジアでゴミの量が増えるのは決して避けられない。

人はこれまで便利さや手軽さと引き換えに安易にゴミを生み出してきた。その最たる例が使い捨ての物の類である。コップや皿、スプーンやフォーク、缶やペットボトルも使い捨ての類に入るだろう。

カンボジアではコロナ禍にデリバリーサービスが急激に浸透し、それに伴い使い捨てのカトラリーが多く消費されるようになった。

しかしひと昔前の日本では出前でも店内で使うのと同じ陶器の皿を使い、食後には頃合いを見て店が皿を引き取りに来ていた。箸は割り箸だったが、スプーンはステンレスのスプーンだった。

このスタイルではゴミは圧倒的に少なくなるが、店側が引き取りにくる手間がかかってしまう上に、洗い物も増え、破損や紛失のリスクも高くなる。さらには配達と引き取りの時間や手間を考えると配達エリアが限定されてしまい、売上が上がりづらくなってしまう。

それを解決したのが使い捨てのカトラリーである。食べ終わったら容器は捨てれば良く、引き取りに行く必要はない。配達の手間が半分で済む分、エリアも広げられ数もこなせるとあっては、飲食店にとっては当然使い捨てを選ぶだろう。

全て自社で配達をしていればまだ選択の余地もあるが、デリバリーサービスの会社に委託していれば当然引き取りなんかやってくれないため、選択の余地はない。

これはほんの一例であり、こういったケースが至るところに存在し、使い捨ての物が増え、同時にゴミが増えていった。

しかし飲食店を責めることはできない。経営の効率化を考えれば当然の選択だし、消費者もそれを求めている。

エコロジーとエコノミーはトレードオフの関係にあり、もちろん折衷案はあるだろうがあえて極論を言えば、自然環境や地球環境のことを考えるのであれば経済合理性を捨て、不便さを許容しなければならない。しかし現実はそんなこと誰も受け入れたくないだろう。事業者は収益性を高めたいし、消費者は利便性を享受したい。

であれば、どうすれば極力ゴミを出さずにすみ、どのようにゴミを捨てれば良いか考えなければならない。今のまま問題を先送りし、ゴミの分別をせず、ひたすら埋め立て続ければ状況は悪化の一途を辿り続けることは火を見るよりも明らかである。

だからこそ学び、実行し、それを広げていく必要がある。

決して難しいことではない。人の習慣は変えられる。