//カンボジア版「米百俵の精神」

カンボジア版「米百俵の精神」

カンボジアに長く住んでいると日本からさまざまな形での支援をしているのを目にすることがある。

食料、衣料品、文房具から井戸や学校などの大きな物までいろいろ寄付されているが、実際に寄付を受ける側はそれをどれだけ必要とし、どれだけの人が助けられているのだろうか。

そしてそれはどれだけカンボジアのためになっているのだろうか。

実は私自身、カンボジアに来た頃はこういった支援や寄付に対して懐疑的だった。食料や井戸は分かるとしても衣料品や文房具よりも今日食べる物の方がほしいのではないかと思っていたし、そもそも街中ではレクサスやレンジローバーが所狭しと走っており、お城のような高級住宅をあちらこちらに見かけており、結局金がないわけではなく富の再分配が機能していないだけで、だとするとそれは国内の問題なので、我々外国人が立ち入る問題ではないと思っていたからだ。

しかしカンボジア在住の歴を重ねていくとだんだん見えてくるものがある。それはカンボジア政府としては私腹を肥やしたいのではなく、今は経済成長など国の発展を優先事項として考えているのではないかということである。

もちろん賛否はあるかもしれないが、それもカンボジア国民が決めることであり、我々外国人がとやかく言う問題ではない。

日本でもかつて「米百俵の精神」という考えで苦難を乗り越え、その舞台となった長岡市の近代教育の基礎が築かれ、今日ではまちづくりの指針や人材教育の理念となって今も受け継がれているほどである。

「米百俵の精神」を知らない人のために簡単に説明すると、戊辰戦争時に焼け野原となり財政難に陥った長岡藩は、三根山藩から見舞いとして米百俵が送られてきたが、長岡藩の大参事であった小林虎三郎はその米を売却し、その資金で学校を設立することを決定。この決定に反発した藩士たちに小林虎三郎は「百俵の米も食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と諭し、この政策を押しきった。その後、東京帝国大学総長の小野塚喜平次、解剖学の医学博士の小金井良精、吉田内閣時代の司法大臣の小原直、海軍元帥の山本五十六など日本を背負う多くの人材が輩出された。

カンボジア政府もこれに近い考えを持っているのではないかと思っている。もちろん豊富に財源があればあれもこれもできるだろう。しかし現実は財源は限られており、優劣を付けざるを得ない。その中で何を優先すれば何かが後回しになってしまう。その後回しになった分野の人々は不満に思い反発するだろう。だからこそそういった分野に対し、我々日本をはじめとした先進国が支援をすることでカンボジア国民も「米百俵の精神」を持ち、カンボジアの未来に希望を持てるのではないかと思う。